僕は住民の人から相談を受けたりするけれど、その時に「世話をしてやったから選挙の時には恩を返してもらわなければ」などと考えたことはありません。
議員が人のために働くことはあたり前のことだし、そもそも僕が日本共産党に入ったのは日本共産党が人の役に立つこと「国民の苦難あるところ日本共産党あり」という立党の精神に共鳴したからです。
だから、困っている人の相談にのって力になることは当然だし、見返りを求めることがないのもあたり前のことです。
相談にのった相手から「前回の選挙は入れなかったけれど今度は絶対に入れさせてもらう」と言われることもあります。
それはありがたいのはありがたいのですが、投票は選挙の時期が来たその時にしっかりと考えて、誰が議員にふさわしいのか判断して投票すればいいと考えています。
こんなことを書くときれいごとのように思われるかも知れませんが、これは偽りのない本心であり事実です。
これは僕の友人である高田さんも松坂さんも同じでしょう。
だから田辺市に住む僕の相談にも親身になってのってくれるし、解決のために努力もしてくれます。
今日はそんな話をある新聞記者にしました。
でもなかなか信じてもらえませんでした。
「そう言っても票にはつながっているんでしょ?」としつこく聞いてきます。
確かにそのことが信頼を勝ち取って、積み重なっていっていることは事実です。
でもあくまでそれは結果的にそうなっているに過ぎず目的ではありません。
そういくら説明しても「でも」と食い下がってきます。
人はそれぞれの価値観や判断基準(ものさし)を持っています。
そしてついついそのものさしですべてのことを測ろうとしてしまいがちです。
でも世の中には様々なものさしが存在し、それは時として自分のものさしとは相容れないことも往々にしてあります。
その厳然たる事実を真摯に受け入れられるかどうかがその人のものさしで測れるものを増やすかどうかの分かれ目でしょう。
新聞記者という職業に就いている彼にはもっと多くのものさしを柔軟に受け入れられるようになってほしいと思いました。
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