二川小学校は今日から午前中のみですが授業開始で友歌は久しぶりに登校しました。
熊野高校は火曜日から通常通りやっていましたが通学手段と経路がないために休ませていました。
今日は時間制限つきながらも潮見峠ルートが開通したので、白浜町に出勤する友達のお父さんにいっしょに乗せてもらって由女賀も久しぶりに登校しました。
僕はというと昨日まで二川分団の分団長としての活動に明け暮れていましたが、それぞれの活動に一応の目処が立ち、今日は分団としての活動はありませんでした。
しかし、昨日消防署から土石流によって不明者が出ている旧大塔村三川地区熊野の捜索への支援要請がありました。
二川分団の多くの団員は昨日まで仕事や家庭を横に置いて消防団の活動に奔走してきたため、なかなか要請に応えられる状況にありませんでした。
そこで僕が二川分団を代表して捜索に参加しました。
他に近野分団から8名と副支団長の合計10名が中辺路支団から参加しました。
現地についてみるとそこには大きな岩と流されて折れた無数の木がゴロゴロとしている異様な風景が目の前に広がりました。
水の中、石の下や岩陰、流木の間などに不明者がいないか、また遺留品はないかと丁寧に捜索しました。
残念ながら不明者を見つけるには至りませんでしたが、お宮参りの時の親子3人の写真や赤ちゃんの写真に不明になっている消防団員のものと思われるレインウェアの膝から下の部分などいくつかの遺留品を発見しました。
夕方から台風以後に唯一行けていなかった龍神行政局に様子を見に行きました。
龍神村の中心を横断している国道はさして大きな損傷もなく移動は速やかでした。
ただ通信が回復していないという絶対的なハンディを抱えながらも職員は明るく元気に災害対策に奮闘していました。
携帯電話はすでにS社とA社は移動基地局によって通信が可能な状況になっていましたが、D社はようやくアンテナ車が行政局前に到着して作業をしている最中でした。
東日本大震災の時も一番対応が遅かったのはD社でした。
これで単なる偶然ではなく企業体質による遅さなのだということが明確になったと思いました。
龍神村も停電が発生していて昨夜にほぼ全域が復旧したとのことでした。
我が家も今日の午後にブレーカーを交換してもらって仮復旧しました。
それで帰宅後、入浴して、機嫌良くブログを書き始めたのですがまた突然停電に見舞われました。
この停電がいつまでつづくのかわかりませんが、明日復旧していたらアップすることにしましょう。
それでは明日も由女賀を送るため早いのでおやすみなさい。
(注 この記事は上記の時間に書きましたが今は9月8日の23時07分です。)
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