来週から始まる消防団のポンプ操法の練習の打ち合わせに行き、その後は防火水槽の補修用資材の買出し。
消防団の用事だけで午前中は丸々かかってしまいました。
午後は第83回田辺・西牟婁メーデーに参加。
ちょうど今日、Facebookで友人のNくんが大阪のメーデーに参加しての思いをつづっていました。
それを読んで僕が今朝から考えていたこととの関係について考えを深めました。
Nくんが書いていたのは大阪でもメーデーの参加人数が年々減少傾向にあること。
参加人数を増やすために「フツー」の人が「フラっと」参加できるような工夫が必要だと書いていました。
確かに参加者の少ないメーデーは盛り上がりに欠け、残念な気はしますが、連合のような意義を度外視したイベントとしての開催には疑問を感じます。
あくまで戦う労働者の祭典であり、その意義を失うと開催の意味さえ失ってしまうのではないかと思います。
本質を見失わず、参加者を増やす努力が必要だと思いました。
そのこととの対比で考えていたのが日本共産党の党名についてです。
よく「党名を変えたら」というアドバイス(苦言?)をいただきます。
そのたびに「名は体を現す」「恥じるべき歴史がない」「変えないことが評価の対象」などと変えない理由について力説してきました。
本当に党名を変えたからといってそれらの人たちが支持してくれる保証もないとの思いもありました。
でも仮にアンケートなどで「党名を変えたら支持する」という国民が圧倒的に多かったら(そしてその回答に信憑性があるとしたら)党名を変えるという選択肢もありなのではないかというのが今朝考えたことでした。
日本共産党がその党名に誇りを持ち、信念を持って同じ党名で活動し続けていることは僕にとっても誇りです。
でもこれはあくまでも自分たちの主観の問題です。
政党というのはその構成員の自己満足や納得(または私利私欲)のために存在するのではなく、より多くの国民の支持を得て社会を変えていくために存在していると僕は定義しています。
(その定義で測ると政党ではない政党がほとんどですが・・・)
党名を変えることによって国民から多くの支持を得られ、そのことによって目的である社会変革を実現できるのであればそれは「あり」だと思うのです。
もし党の政策や綱領という本質で政党を判断せず、名前のイメージで判断するというレベルなのだとしたら非常に残念な思いもしますが、もし国民のレベルがそうなのであればそれに対応しなくてはならないのでしょう。
現時点において党名を変えることが飛躍的な支持の増加につながるとは思えないのでそうしたことは現実には起こらないと思いますが、そんなことを考えたメーデーの朝でした。
夜は二川小学校の統合問題についての会合。
統合をまちづくりの観点からとらえ、しっかりと対応していくことを意思統一しました。
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