あの日から1年が過ぎました。
「もう1年も経ったのか」という思いと「まだ1年しか経っていないのか」という思いが交錯し、複雑な感情がこみ上げてきます。
9月以降の4ヵ月は本当にあっという間で大晦日にようやく「もう4ヶ月も経ったのか」とあらためて感じました。
一方で年が明けてからの8ヵ月はとても長かったようにも感じられます。
災害発生から1年が過ぎても中辺路町内には片側交互通行しかできない箇所が数箇所残されています。
国道311号の滝尻が通行止めになって、町外へ転居する人も増えました。
高速道路の工事は急ピッチで進められているようですが、災害復旧はままなりません。
今日、復興祈願がおこなわれた熊野地区も風景は1年前とさほど変わっていません。
復興どころか復旧さえおぼつかないのが被災地紀南の現状です。
今日は、一般質問の準備も兼ねて本宮町へ行きました。
改修工事のために周囲を防音壁で取り囲まれている熊野本宮館以外は災害の爪あとはそれほど目立たなくなっている本宮の中心地ですが、少し離れたところに目をやると今も住民に不便な暮らしを強いている災害現場があちらこちらに残されています。
被災現場を後回しにして高速道路や国体の準備。
放射能汚染された地域の除染を後回しにして再開発や再稼動。
やはりこの国は少しおかしくなっているようです。
昨年の災害対応で多くの人と出会い、ぶつかり、多くのことを感じ、考えました。
そして、その中で自分の中で何かが途切れたのを感じました。
残念ですが、自分たちの地域はそこに住む人間が主体となって取り組まない限り、何ひとつ良くはならないのだということを思い知らされました。
公務員に対しても住民の側から「協働」を働きかけなければ、いくら市長が「協働」を声高に叫んでも職員の側からそれが始まることはありません。
議員の質の低さを嘆いても、自らが真剣な審判を行い、選挙後においてもその行動を監視しながら議員の質を高めていく努力をしなければ状況は一向に変わりません。
「前回の選挙で誰に投票したのかも覚えていない」といい、「選挙の時しか議員の顔を見ない」と言っているのではなく、日常的に注文を付け、鍛えていくしかないのです。
議員は有権者のレベルを映し出す鏡です。
国会議員の質の低さは有権者の質の低さをあらわしているに他ならないのです。
市会議員についても同じことです。
議員の身である僕がこんなことを言うのは「盗人猛々しい」と言われるかも知れません。
でも、この思いは自分自身が議員になるずっと以前から思っている信念です。
自分自身ひとりの有権者として今の市議会には非常に残念な思いがあります。
しかし、それは議会内の多数決などで変えられるものではありません。
民意をしっかりと反映し、住民の願いに応える議会を作り出していくのは有権者の投票行動であり、その後の監視なのです。
東日本大震災と台風12号災害は、多くの絶望と希望をもたらしました。
災害後の対応では多くの失望にも直面しました。
しかし、諦めたらそこで終わりです。
現状は確かに厳しいものがありますが、あきらめず一歩ずつ、進んだら後退しないよう踏ん張って、少しずつでも前に進まなければと、災害1年後の日に自分に言い聞かせています。
(下の写真は半旗が掲げられた本宮行政局)
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