夕方に小皆の高齢者住宅のところに行くと
中央の広場で4人の入居者の方が座って話をしていた。
僕も混ぜてもらって少しの間、話をした。
「あんたは若い」という話から
今の若い世代の人間は皆さんの年齢まで
元気に生きれるかどうかわからないという話をした。
子どもの頃から多種多様な化学物質を摂取し
かつては知られていなかった病気やウイルスに侵され
事故や事件の危険性も高い。
ある意味、今現在高齢者と言われる年代に達している
人たちが暮らした時代が「いい時代」だったのかも知れない。
たしかに幼少期から青年期にかけて食べることにも苦労し
物質的には決して恵まれた時代とは言えないだろうけど
努力の向こうに報われる結果があり、
少なくとも「明日は今日よりいい日になる」という
漠然とした期待感があった時代だと思う。
残念ながら、今の時代は社会全体がそうした展望を持てないでいる。
でも僕たち(共産主義者?)は未来社会への展望を持ってます。
それは信仰でも思い込みでもありません。
科学的な社会観・歴史観に裏づけされたものです。
あの暗黒の戦争時代に命をかけて「戦争反対」を主張したのは
単に理想を追い求めたのではないと思います。
人類が進歩し、必ずや戦争が否定される時代が来る。
その確信があったからこそ命をかけることができたのだと思います。
そしてそれは現実となりました。
でも今またその時代を逆行させようという動きが大きくなりつつあります。
天皇時代が未来永劫続くようにとの「君が代」を国家に制定し
斉唱を義務付け、戦争放棄を謳った憲法九条を改悪しようとする。
こうした動きを批判すると「考えすぎだ」という人がいます。
でも歴史教科書を書き替え、テレビ番組を編集しなおさせる。
戦争に反対する世界中の運動をまったく伝えない。
テレビが伝えるのは悪の代表としての北朝鮮と独裁者のいたイラク。
それに対抗する正義の代表としてのアメリカ。
こうして世界の流れから孤立してアメリカの犬として飼いならされていく
日本の総理大臣と国民。
ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、
とにかく自分は共産主義者でなかった。
だからなにも行動にでなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、
自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
( 丸山真男 『現代政治の思想と行動』 未来社 )
美辞麗句で憲法が改正されてからでは遅すぎることがある。
夜は育友会の今年度最後の会議、委員総会がありました。
校長先生が今年度で定年を迎えるので31日に送別会を
計画することになりました。また泣いてしまいそう・・・。