プロフィール
大阪出身、55歳。
’95に中辺路町に移住。 (’96年初立候補、落選) ’00に町議当選、 ’04再選。 ’05合併後の市議(定数3)に当選。 ’09(定数26)再選。 ’13(定数22)再選。 ’17(定数22)再選。 (現在20年目で6期目) 【日本共産党公認】 家族は妻(さよちゃん)と二人暮らし。 長男は看護師を経て久留米で治験コーディネーターとして働いています。 長女は看護師6年生で現在さよちゃんの実家の佐賀で祖母と同居してくれています。 次男は今春から白浜で看護師として社会人生活をスタート。いい人間関係に恵まれているようで何よりです。 和歌山のお天気
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今回の視察は遠方なため中日である今日しか視察がありません。
すなわち今日しっかり学ばないといけないので覚悟して臨みました。 1ヵ所目の視察先は遠野まごころネットです。 遠野は内陸部にある自治体で津波被害は想定されていませんでしたが、沿岸部が被災することが予想されることと三陸沖地震の発生確率が非常に高いことから発災時には後方支援をすることを計画して準備を進めていたそうです。 その矢先に3.11の地震が発生し、とにかく手探りで支援活動に突入したようです。 その活動の中では様々な矛盾や葛藤に直面したようですが、何よりもこの団体が特筆されるべきはその支援活動の継続性です。 災害発生直後には関心も高く多くの寄付やボランティアが集まってきますが、時間の経過とともに忘れ去られ、話題に上ることもほとんどなくなります。 そして年に1度、被害発生のその日にマスコミも思い出したように「震災何周年」とかいう特集を組み、「あの日を忘れない」なんてきれいごとをいいます。 そして翌日にはきれいさっぱり忘れ、364日を過ごします。 遠野まごころネットは震災発生から2年半が経過した今でもボランティアの受け入れと派遣を続けています。 その活動は素晴らしいものです。 もし南海地震による津波で田辺市の沿岸部が被災したら大塔や中辺路が後方支援の基地となることでしょう。 そんな思いを重ねながらお話を聞きました。 カワサキさんが頑張っていたので写真をアップしておきます。 2ヵ所目の視察先は大船渡市です。 大船渡市は2年前の5月に日本共産党和歌山県委員会として救援物資を届け、ボランティアにも参加した場所です。 当時、お世話になった地区委員会事務所近くの小さな公園にまで仮設住宅が建っていて驚きました。 市役所は海から近いのですが高台にあって被災を免れていました。 先見性があって高台に建てたということではなかったようですが、結果として庁舎が被災しなかったことが救援・復旧にとってとても有利だったということです。 被災者の高台移転については利用可能な平地が少なく苦慮しておられるようで、事前にそうした土地を準備できていれば被災後の移転も比較的速やかに進むのではないかということでした。 局長や部長・課長が説明して下さいましたが、多くの視察に対応されているのか非常にわかりやすく説明して下さいました。 復旧や復興事業でお忙しいだろうにありがたいことです。 この恩は田辺での被害を最小限にとどめるという形でお返ししなければなりません。 それがこの恩に報いる確かな術だと思います。 それにしても感じたのは、職員自身が自分の頭で様々なことを考え、方向性を確立しているということです。 この間の対応で鍛えられたという側面もあるのかも知れませんが、これこそが公務員に求められる資質だと痛感しました。 具体的な個々の事例よりも何よりそれが災害対応(すべての行政)に必要なものだということを学んだ気がします。 視察終了後は陸前高田市を通って宿泊地の一関市に移動しました。 陸前高田の沿岸部は2年前とほとんど変わらず雇用促進住宅は4階までブチ抜かれたまま立っていました。 少し違ったのは、山積みされた津波で流された車の山がなくなっていたのと瓦礫の山が少し小さくなっていたことです。 それ以外はあの日のまま、夜になってもあかりの灯る住居や店舗はありません。 この広大な平野部は地震によって地盤沈下もしていて今後の活用は困難でしょう。 かと言って他に平野があるわけでもなさそうです。 どうして街の賑わいを復活していくか。 大きな課題を背負っている自治体の苦悩を見た気がします。 にほんブログ村
by 51kawasaki
| 2013-10-24 23:33
| 政務調査
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