小松原で暮らしだして早や1ヵ月が過ぎました。
温川に引っ越してきて温川で2回、そして今度が3回目の引っ越しです。
今度の家は日当たりがよく、朝日で目が覚めます。
初めて雨漏りもしません。
先日、帰ってきた由女賀と友歌が「今度の家は雨漏りせぇへんねんで」と嬉しそうに話していました。
昨日は「ボイラーのスイッチを入れてすぐにお湯が出る」と感激していました。
その他、隙間風が入らない、風通しが良い、玄関に鍵が締まるなど普通に当たり前のことかも知れませんが、僕たち家族にとっては初めてのことばかりで、とても喜んでいます。
この暮らしを体験したら、どこに行っても条件が良いと感じられることでしょう。
汲み取り便所や五右衛門風呂など都会では経験したくてもそうそう経験できるものではありません。
おそらく彼らが大人になって暮らす家は快適な家だと思いますが、この経験は無駄ではないと思います。
さよちゃんと温川の家の片付けに行きました。
台所に居間、寝室は片付けて掃除もしたので、あとはベッドの解体と裏と横の物置の掃除です。
なんとかあと2日くらいで完了できそうなところまできました。
多くの無駄なものに囲まれて暮らしていたことを実感しながらの作業です。
長男・長女が小学校でお世話になったY校長先生が亡くなられました。
さよちゃんの勤める病院に入院してきたと聞き、驚きましたが、会いに行ってよいものか迷いました。
さよちゃんに聞いてもらうと「来てもいい」と言ってくれたので、先生が定年を迎えた(旧)二川小学校の校庭に咲いていた花を持ってお見舞いに行きました。
僕は教え子ではなく、児童の保護者ですがY先生の前ではなんだか子どものように素直な気持ちで話せました。
先生の容態はあまり良くなく、痛々しさもありましたが精一杯明るく話してくれる姿に胸が熱くなりました。
数日後、さよちゃんから「前に持って行った花が枯れてたで」と言われ、再度花を摘み、お見舞いに行きました。
でも、それが出会った最後でした。
その後は「かなりしんどそうなので行かない方がいい」とさよちゃんに言われ、会いたいという思いを抑えていました。
そして昨日、亡くなられたことを聞きました。
まだまだ生きていてほしかった。
そして、また色んな話をしたかったと多くの子どもや保護者が思っていることでしょう。
退職後もいつも二川小学校の運動会や文化祭には来てくれて、子どもたちに暖かい視線を送ってくれていたY先生。
今日、片付けをしていたらY先生が綴った「おはなしたまてばこ」が出てきました。
これは、Y先生が式や行事の時に子どもたちに語った言葉を集めたものです。
その中で自分の出生について語っているページがありました。
-私が生まれた年の八月に、日本は戦争に負けました。(中略)私は、いつまでも平和で豊かな時代が続きますようにと祈っています。-
この思いをしっかりと受け止め、子どもたちを再び戦場に送らない社会を守るために力を尽くします。
Y先生、安らかにお眠りください。
さようなら。
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