この1年間で亡くなられた町民は約60名。
その中でお付き合いさせていただいて方は半分弱。
今日は、その中の6割程度のお参りをさせていただいた。
亡くなられて数ヶ月が経過している今日でも
故人の話をしていると胸が詰まってくるような時もある。
かけがえのない人を失った悲しみは
時間が経過してもそう簡単に癒されるものではない。
僕が住んでいる温川より奥にある集落の小松原は
運転できる人も少なく、日頃は自家用車の数も数えるほどしかない。
しかし、今日は自動車があふれかえっていた。
集会所の前も倉庫も道路も他府県ナンバーの車で埋め尽くされていた。
お盆期間中、中辺路町の人口は倍近くに膨らんでいるのではないだろうか?
せめてこの半分でもここに住んでいてくれたらと毎年思う。
午後は上田みのるさんと市議団で宣伝行動。
久保ひろつぐ市議に運転してもらい、僕と真砂みよ子市議がお手振り&アナウンス。
本宮2ヵ所、中辺路2ヵ所で街頭演説を行い、日本共産党の政策を訴えた。
すれ違い、行き交う車のほとんどが他府県ナンバーだったけれど
「日本はひとつ」の思いで日本共産党への支持を訴える。
夜は川合地区の盆踊りをのぞきに行った。
夕方少し雨がチラついていたので心配したけれど、
天候は回復し、ちょうどいいコンディションになっていた。
ALTのWくんもお気に入りの「甚平」を着て
日本の「BON-DANCE」を楽しそうに見ていた。
僕も踊りたいとは思うのだけれど
僕にとっての盆踊りは「河内音頭」で、この地域の踊りはどうも馴染めない。
覚えようとチャレンジしたこともあるけれど
年に一度の数時間では、覚えるのは不可能だし
踊っていても「河内音頭」ほど熱くなってこないので
数年練習してやめてしまった。
こっちでもエキシビジョンでもいいから「河内音頭」を導入してくれないかな?
中辺路町と友好町村だった千早赤阪村は河内音頭の発祥の地だと言っていた。
どんな理由をつけてでもいいから河内音頭が踊りたい!
今日の日中、友歌より少し小さい近所の子どもが走っているのを見て
無性に友歌に会いたくなった。
「そういえば、うちにもあんなチビちゃんがいたんだ」
そう思うと早く友歌と一緒の生活がしたいと初めて思った。
4才児本人はまったくと言っていいほどホームシックになっていないようだけれど
親のほうがチャイルドシックになっているようだ。
彼らが帰ってくるまで、あと3日。