12月議会で生活保護の問題を取り上げましたが、その後も貧困問題について研究を続けています。
その中でとりわけ子どもの貧困についてなんらかのアクションを起こさなければならないという危機感を持っています。
今日は、子どもたちの実態について現場の声を聞かせてもらうため2つの中学校にお邪魔しました。
経済や家族、価値観など様々な要因が複雑に絡み合う貧困の問題に唯一の解決策など存在しません。
でも、その実態を知り、現実に寄り添い、心を通わすことからしか始まりません。
今、必要なことは一人でも多くの人がその解決に向けて一歩を踏み出すこと。
少なくとも踏み出さなければならないという思いを共有することは一刻の猶予もない課題だと考えています。
夜、長男から電話がありました。
「10分話を聞いてほしい。そして意見をほしい。」と言って一方的に経過や彼の憤りを話しました。
どう考えても理不尽なことというのはあります。
いくら考えても自分の憤りの方が正当だとしか考えられないようなこともあります。
その時は怒りや悔しさが抑えきれないくらいに次々と湧き出してきます。
でも、その怒りに囚われている間は成長が止まり、その理不尽な行為をした相手と同じ次元に留まることになります。
人間同士の衝突に0対100はないというのが僕の持論です。
まったく理不尽に思える相手の言い分にも大きな目で見れば数%の理解できる部分を必ず見出すことができます。
そしたら次はそれを克服できる対応をすれば二度と同じ衝突は起こりません。
それは相手の理不尽な主張に屈するということではありません。
その衝突を自分の成長する機会として捉え、新たな次元にステップアップする原動力(材料)とするのです。
相手の不備を大きな目で見ることが出来るようになったとき、そこには新たな視界が開けていることでしょう。
彼は「そんなすぐにそうは考えられへん」と言います。
当然です、22歳くらいでそんなに達観されたらこっちがびっくりです。
でも、人生のどんなシーンにも無駄はない。
すべての経験がその後の人生の糧になると思えば乗り越えられない苦難はありません。
僕が尊敬する自慢の息子にエールを送って長い10分の電話を切りました。
明日から休みが続くそうですが、しっかり放電と充電をしてがんばってもらいたいと思います。
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