久しぶりに田辺市内へ行く用事がない日でした。
佐賀のさよちゃんの実家から送ってもらったお米を精米に持って行ったり、支部会議に参加したりしました。
松本家のパソコンの液晶画面の調子が悪く、うちのパソコンを貸し出しました。
年賀状シーズンが近づき、フル稼働するようです。
最近はあらゆるもののモデルチェンジのサイクルが短く、また耐久性も乏しいように感じられます。
VHSビデオデッキはほぼ1年でヘッドがダメになり、携帯電話も1年を超えると極端にバッテリーの持ちが悪くなります。(我が家が圏外で電話が電波を探し続けるため余計にバッテリーの減りが早いようですが)
パソコンもソフトの性能が日進月歩で進み、それに対応して容量が大きくなります。
ビットからキロ、メガへと進み、気がつけばギガ、そして今はテラというサイズが出回り始めています。
そんな状況下でパソコンも3年周期で買い替えを余儀なくされるという感じです。
新しいものを追う人と古くなってもしっかり使えるものを求める人とがそれぞれ選択肢を持てる状況が望まれます。
先日、筑紫哲也さんの追悼番組「ヒロシマ」(再放送)を観ました。
広島に投下された原子爆弾を開発し、データを記録した科学者が戦後60年して初めて広島を訪れ、被爆者との面談を果たし、彼が何を思い、語るのかを興味深く観ました。
「原爆は罪もない一般市民を多数殺した」という被爆者の言葉に対して彼は「戦争に罪のない人は存在しない。国民すべてが戦争に参加している」と答え、「真珠湾攻撃で友人を失った。自分たちは真珠湾を忘れない」と話し、決して謝罪することはありませんでした。
民族性や個人の考え方もあるでしょうが、日本にも「あの戦争はアジア解放のための戦争だった」と主張し、侵略戦争であった事実を認めようとしない人たちが存在することを思うと彼の考え方も同じスタンスのものに思えました。
戦争に正しい戦争などあり得ません。
人間が人間を殺すことが許されるはずはないと思います。
でも、そんなことすら常識として共有できないのが現代社会なのでしょうか。
拉致は許されるものではありません。
しかし、その制裁によって飢えで死ぬ人が存在するのも事実です。
誰も殺さない、誰も死なせない。
そんな当たり前のことが世界共通の常識になる日が1日も早く訪れてほしいと思います。
そのために僕たちがすべきことは、とりあえずそれをこの地域の常識にすることです。
議会30人の常識にも程遠い現状で、道は険しそうですが・・・。