プロフィール
大阪出身、55歳。
’95に中辺路町に移住。 (’96年初立候補、落選) ’00に町議当選、 ’04再選。 ’05合併後の市議(定数3)に当選。 ’09(定数26)再選。 ’13(定数22)再選。 ’17(定数22)再選。 (現在20年目で6期目) 【日本共産党公認】 家族は妻(さよちゃん)と二人暮らし。 長男は看護師を経て久留米で治験コーディネーターとして働いています。 長女は看護師6年生で現在さよちゃんの実家の佐賀で祖母と同居してくれています。 次男は今春から白浜で看護師として社会人生活をスタート。いい人間関係に恵まれているようで何よりです。 和歌山のお天気
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開票の眠れぬ夜から一夜明けてまだ現実を受け入れかねているような朝。 認めようと認めまいと現実は変わりません。 当選していたら事務所の前で朝立ちをする予定でしたが、落選した候補が手を振ってきても反応に苦慮してしまうかも知れないと考えたので朝立ちは取りやめました。 これまで自分の初めての町議選をはじめ、幾度か落選の瞬間に立ち会いましたがやはり気持ちは重たいです。 今回の市議選は、僕の後継候補の決定が遅れ、実際に正垣さんの候補者活動が本格化したのは2月の初めでした。 僕は議会対応や年度末の業務に追われ、僕自身が後援会活動に着手できたのも4月に入ってからでした。 あまりにも致命的な出遅れは最後まで挽回することができませんでした。 正垣やすひこさんは、年齢以外は非の打ちどころのない候補者だと思います。 でも、知名度ゼロに近いところから当選にたどり着くにはあまりにも時間が足りませんでした。 せっかく決意してくれたのに当選させられなかったことを申し訳なく思います。 また同時に山間部のことをよくわかって議会で発言し、現状を改善しようとする議員を失ったことは、市民にとっても大きな損失です。 前田・久保の両市議にはこれまでの1.5倍以上頑張ってもらうしかありませんが、この広大な町村部をカバーするのは限界があるでしょう。 「議員が減ってもデメリットはない」と定数削減の提案をした山間部のR議員が言いましたが、早晩山間部の住民は定数削減の大きな損失を実感することになるような気がします。 共産党を2議席に減らしたことで定数削減の目的は達成されたのかも知れませんが、市民にとってその代償はあまりにも大きいものになるでしょう。 お昼過ぎに、見慣れない携帯電話番号から自宅に電話がありました。 出てみると今回の選挙に立候補した若者からでした。 話を聞きたいというので出会いました。 3月議会の僕の一般質問(彼は「演説」と言っていました)にとても感動したとのことで、僕の政治観や信条などについて話しをさせてもらいました。 時折メモを取りながら聞いてくれて少し照れました。 もう会うことはないかも知れませんが、彼の今後を見守りたいと思います。 引っ越しの準備を本格化しました。 選挙のためまったく手つかずだったのでかなり焦っています。 もう月末なので集金もしなくてはならないし、相変わらずやることに追われています。 佐賀に行ったら少しはゆっくりできるかな。 #
by 51kawasaki
| 2021-04-26 23:11
| その他の活動
みなさんにご支援をいただきましたが正垣泰比古候補は当選に至りませんでした。 様々な思いがありますが、それはあらためて書かせていただきます。 とりあえず、結果の報告まで。 #
by 51kawasaki
| 2021-04-26 08:02
| 選挙
田辺市議選も今日が最終日。 これまで候補者と一緒に行動することはありませんでしたが、今日は交代するアナウンサーの到着が遅れたため急遽候補者と同乗することになりました。 必死に訴えるまさがきさんの声を聞いて、なんとしてもこの人を当選させなければとの思いを強くしました。 まさがきやすひこさんは僕の後継者です。 ですから、僕が応援するのは当然のことだと思われるでしょう。 でも、応援するには理由があります。 議会で必ず一般質問をするとか、『市議団ニュース』を発行して議会の様子を報告するとかいうこともあります。 市民にとって「役に立つ」「頼れる」「使える」議員になることは間違いないと太鼓判を押せる候補者です。 でも、僕が正垣さんに当選してもらわなければと思う理由は、それだけではありません。 今の田辺市議会、そして今後の田辺市議会の状況を考えるときに議会になくてはならない人となると考えるからです。 今の市議会は22人の定員の中で当選回数1回と2回の議員が過半数の13人を占めます。 若返りや新陳代謝が進んだという面では喜ばしいことで、有望な若手がいることも事実です。 しかし、その一方で議員としての確固たる矜持を持つ議員がいなくなっているというのも事実です。 慣例が尊重される議会で経験豊かなベテランがいなくなれば事務局に頼るか若しくはその時々で自主的に判断するしかありません。 自主的といえば聞こえはいいのですが、当局にすり寄り忖度ばかりする今の市議会の趨勢で自主的に判断するとなれば市長に都合の良い対応ばかりになることは想像に難くありません。 それでは議会の存在意義自体が問われることとなります。 道理で物事を考え、筋を通して柔軟に対応する。 これこそが議会に求められる対応ですが、残念ながら議会の尊厳を保ちながらこうした対応をできる議員は現職にはあまりいません。 そんな議会だからこそ合理的な判断ができる議員の当選が望まれていると僕は思っています。 その需要に応えられるのが正垣泰比古さんだと僕は考えています。 直接的な市民への貢献とは別に、議会を議会たらしめる議員の存在が必要であり、議会がその権能を遺憾なく発揮し、真に市民のために奉仕する機関とするために正垣泰比古さんを議会に送り込むことが議会を去る僕の責務だと考えています。 今の市議会、今後の市議会を憂慮されている職員や関係者のみなさんは、是非とも正垣泰比古さんに投票されるようお勧めします。 正垣やすひこさんを候補者として送り出したことが、僕がこの地域、田辺市に対してできる最後で最高の恩返しだと考えています。 みなさんの大切な一票を正垣泰比古(まさがきやすひこ)に託していただくよう心よりお願いして、最後の訴えとします。 #
by 51kawasaki
| 2021-04-24 23:39
| 選挙
午前中は中辺路、午後は龍神を挨拶にまわりました。 こんなに多くの人が熱烈に支持してくれていたのかとあらためて実感しています。 過分な誉め言葉に恐縮することしきりですが、まともな議員に飢えている現状も垣間見えます。 僕がしてきたことは、それほど特殊なことではありません。 担当地域が約900平方キロメートルもあるのでそう頻繁に訪問したりすることはできません。 それでも各町村の支部のみなさんと定期的に街宣や訪問活動をおこなってきたので、4年に1度しか顔を見ないなどということはありません。 議会報告のニュースを発行し、街頭から国政や市政のことを報告する。 顔を合わせて話を聞いたり、相談を受けたら訪問して対応するという議員として当然のことをやってきました。 でも、残念ながら田辺市の議員の多くはそうした当たり前の活動すらできていないというのが現実です。 だから22人の定員を2人減らしても「デメリットはない」などと平気で言えるのでしょう。 定数削減に賛成した17人の議員のうち、14人が立候補していますが落選するなら「デメリットがない」この14人の中から落選者が出たらいいなと思います。 僕が議員を辞める理由(昨日の続き) 佐賀で後継者として新規就農した僕は、合鴨農法を実践したりして機嫌よく農業をしていました。 自分が思い描いていた無農薬の安全な農業とは程遠い大規模な耕地やイチゴのハウス栽培に若干の疑問は感じていましたが、お酒を飲むと気性が荒くなる義父ともそれなりにうまく付き合っていたつもりです。 長男が生まれ、長女が生まれて間もなく、収入のない僕は近所の養豚場にアルバイトに行き始めていました。 そんなことも義父には気に入らなかったのかも知れません。 そんなある夜、さよちゃんとお父さんが大喧嘩を始めました。 2階にいた僕は迷ったものの仲裁に入りましたが、着ていたパジャマがボロボロになる修羅場でした。 日中、バイトに行って僕がいない間に再び喧嘩になったら大変だと思い、とりあえず緊急避難的に家を出ることにしました。 別居して家の農業を手伝うと提案しましたが、若かった義父(50代)は「どこへでも行け」と言うので、仕方なく新規就農の土地をさがすことにしました。 そうして土地探しをしている時に「和歌山に来ないか」と声をかけてくれたのが八木さんでした。 八木さんは、数年前に中辺路町に移住して農業を始めていた新規就農の先輩です。 八木さんとの出会いは、佐賀で合鴨農法に取り組む際に勉強に行った合鴨水稲会の総会「合鴨フォーラム」が熊本で開催された会場でした。 それ以来、手紙のやり取りをして近況を報告し合っていましたが、僕が新規就農の場所を探していると知って声をかけてくれたのでした。(つづく) #
by 51kawasaki
| 2021-04-23 22:13
| 選挙
今朝もまさがき泰比古事務所前で朝立ち。 今日も多くの方が手を振ったり笑顔を返してくれました。 早起きは大変ですが、元気をもらっての1日のスタートです。 木曜日は本宮町の日曜版配達の日です。 なので、途中で野中の方に挨拶にまわってから本宮へ走りました。 僕が議員を引退することは新聞報道や党のチラシで知っている人がほとんどですが、引退する理由については公的な報告はしていません。 対話の中では説明するので出会った方は知っていますし、噂で広まっていることもあるので多くの方がすでに知っているようです。 しかし、地域の井戸端会議などのネットワークがない方や4町村以外に住まれている方はほとんど情報がなく、「なぜごいっちゃんは辞めるのか」と疑問に思ったままの方も少なくないようです。 ニュースにして配ろうかとも考えましたが、あまりに私的な事情でもあり、党のニュースにふさわしい内容はありません。 選挙が終わったら自費ででも発行しようかなとも考えていますが、とりあえずこのブログで公式な報告をしておきます。 僕は若い頃、東大阪生協病院で医療事務として働いていました。 小児科の窓口で働いていた時にアトピーで苦しむ多くの子どもの姿を見て、「食」の安全に強い関心を持ちました。 僕自身もアレルギー体質だったため、子どもにもきっと遺伝することになるだろうから安全な食べ物を与えてやらなければと考えていました。 お金をかければ一応「安全」と言われる食材は入手できるかも知れないけれど、本当に安心できるのは自分で作った安全なものを食べさせてやることだと思い、心は農業に傾いていきました。 そんな時にお付き合いしたのが、農家の娘であるさよちゃんでした。 さよちゃんの実家が農家であることは全く知りませんでしたが、付き合いだしてから聞くと「実家は農家」で兄弟は女ばかり。 誰が継ぐかは決まっていない。 「自分は一番上だが継ぐ気は全くない」ということでした。 そんなさよちゃんからプロポーズを受け、うちの両親からの強いプッシュもあって結婚を決めた僕は、「できるものなら農業をしたい」とさよちゃんに言いました。 佐賀も農業も嫌で大阪に出てきたさよちゃんは当然のことながら猛反対。 僕は必至になって説得して、かわさき家の養子になることになりました。 お婿さんではなく、まずかわさきさんちの長男として養子縁組し、その上で妹のさよちゃんと入籍するという手順を踏みました。 これは男尊女卑の強い佐賀県で戸籍の筆頭者をさよちゃんではなく僕にするための手順です。 こうして僕は晴れて川﨑家の長男となりました。 結婚したのが1991年5月3日(憲法記念日)で、翌年1992年12月に退職して佐賀に転居。 新規就農することとなりました。(つづく) #
by 51kawasaki
| 2021-04-22 21:25
| 選挙
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